2011年12月14日
15年目に思うこと
15年前の1996年12月14日からスタートしたサイトですが、そろそろやめようかと思ってました。今年中にケリつけようかと。世間を見渡すとオリジナルの色を持ったテキストサイトもホームページもブログという統一の波に飲み込まれる一方で、そのブログですら震災以降更新の頻度はじわじわと少なくなっていく。ココだけでなく友達や知り合いのブログも今やどれも虫の息で、存在してることすら忘れそうになるほど誰一人マトモに更新なんかしちゃいない。夫のブログなどデッドリンクという有り様だ。放置されたブログの残骸がWEB中に転がっている。皆が自分の言葉で自分を語っていた時代は終わった。独自の観察眼を働かせ、独自の表現力を持ってして読みごたえのある文章を書いていた人たちは皆今は何処へ。ただの日記を読み物へ昇華させていた輝かしい才能は何処へ。
そうか、Twitterか。
Twitterにとって代わられたか。誰もがまだ「Twitterって何?」と言ってた頃からアカウントは持っていた。周囲の友達がヤリ始めたのも私の薦めが大きいだろうか。その後からあれよと言う間に世界中に広まっていったっけ。そうして「言葉」の代わりに目に映るのは朝から晩まで発信されてく瞬間瞬間の文字が放つ「自意識」たち。自意識は人に向けたメッセージではないので、受け止めるもスルーするも自由なかわりに、あまりに頻繁だと文字通り「自意識過剰」的な匂いもしてきてウンザリしないでもない。だが個人サイトの文化が死にかけた今はこの「自意識」を日々眺めることでしか友や知り合いたちの動向を知る機会に恵まれない。このスピード感のある文字列たちを新しい感覚として楽しんでないワケではないが、同時に寂しさや物足りなさもあり、ブログなどで上手に長文を操れなかった人たちのノリノリで短文を流し続けてる姿が気色悪くもアリ(笑)、とにかく色んな複雑な気持ちを持って日々Twitter上を眺めている自分がいる。
そして渇望してる。
読みたい。
文字ではなく言葉を。
どんなものでもいい。
140文字以上の誰かの、何かの、言葉を、気持ちを。特別に練ったものじゃなくてもイイ。プロじゃ無いのだからキレイにまとまった文章になってなくてもイイ。下手でも誤変換だらけでも何でも読めりゃあイイ。とにかく瞬間ではなく、一度咀嚼してから吐き出す思いの入った言葉に餓えている。
私がそう感じているんだからきっと他にも同じことを願ってる人たちがいる。絶対にいる。だからまだ少しココで何かを吐き出そうと思った。ココでなくて別の場所に移ることはあっても、何処かで言葉を綴ることを私は辞めたくないと思った。これを今読んでくれてる誰かの為に、自分の為に。
それが15年目に思った気持ちだ。そして今日から16年目がスタートです。サスガに密度の濃い素敵な文章を書く元気はもう残っちゃいないので、超どうでもイイ内容でやってくつもりなので皆さんも生温い目で見て。多くは望まないで無理だから(笑)。
[wrote by けろすけ at 11:33]
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