さいのう(才能)

国語辞典には「物事をうまくなしとげるすぐれた能力」とあるが、それだけでは不完全。「持って生まれた」資質のこと。努力して身に付けるものではない。複雑なDNAの組み合わせによるものか、神の業か。

小学生の頃、図工の時間が嫌いであった。絵が描けないからである。教師はひたすら「見たままを描け」と私を脅迫した。「思った通りに」書く作文と、「見た通りに」描く絵ほど難しいものはない。放課後のドッジボールだけを楽しみに通学していた私にとって、実に憂鬱な時間であった。
ある時、教師は私たちを2人ずつペアにして向かい合わせ、お互いの顔を描けと指示した。真っ白な紙に、である。私は汗ばんだ。タイムマシンに乗って何処かに逃避したいと、祈った。しかし描かねばならない。クレヨンの黒をまず選び、髪を描いていく。髪は何とか描ける。次に肌色を選び、顔の輪郭を描いていく。これも何とかクリアできた。そして眉を描き、目を描き、口を描く。向かい合っている人間に似てはいないものの、人の顔であることは明白だ。ここまでで45分授業の約半分を消化。周りの友達の絵を見ても、まだ完成している絵は無い。いいペースだ。いいペースなのだ。しかし、ここから私の手は金縛りにあったように動かなくなってしまう。
「鼻」である。鼻は描けない。正面から見た鼻をどう描いて良いのかが分らない。10分は固まっていたと思う。汗も流れていたと思う。私は相手の顔と自分の絵の中心を交互に見つめ、悶えていた。時間はどんどん過ぎていく。苦し紛れに隣の子の絵を覗く。黒いしっかりとした線で鼻が描かれている。「そうか」と思う。真似をしてみようと黒いクレヨンを持ってみるが、描けない。何故なら、人の鼻には「黒い線」など何処にも無いからである。見たままを描けと言われているのだ。見えない線は描けない。私は黒いクレヨンを箱に戻し、諦めた。目を閉じて、禅僧のように時をやり過ごした。

授業が終わり、絵を教師に提出する。
「あら、●●君、鼻はどうしたの?時間がなくなっちゃったの?ホホ」

「ホホ」?
「ホホ」だと?

さいばん(裁判)

秋田県藤里町で06年に起きた連続児童殺害事件で、殺人と死体遺棄の罪に問われ、一審に続いて控訴審でも無期懲役の判決を言い渡された畠山鈴香被告(36)について、仙台高検は7日、上告を断念した。上告期限は8日。弁護側は態度を明らかにしていない。

検察側が死刑を求刑したのに対し、弁護側は有期刑を求めていた。

3月25日に仙台高裁秋田支部であった二審判決は、被告の長女彩香さん(当時9)への殺意があったと一審判決より明確に認定。さらに米山豪憲君(当時7)の殺害についても、殺意をもって自宅に招き入れ、首を絞めて殺害したと認めた。しかし、判決は「更生の可能性はある」などとして死刑を回避した。

仙台高検が上告を断念したことについて、豪憲君の父勝弘さんは7日、高検の検事から謝罪されたことを明らかにしたうえで「死刑判決を求めてきた検察がどうして。最後まで戦ってほしかった。子どもの命が軽視されている。上告断念となれば、何も救われるものはない。見放された」と語った。

【asahi.com 2009年4月7日23時12分】より引用


凶悪事件の裁判の度に、いつも感じる事を今回簡単にまとめてみるね。

> 「更生の可能性はある」
論点がずれてると思うんだよね。「何が起こったのか」そして「どう償うのか」を確定させるのが裁判でしょ?「犯人の今後」よりも「償う事」が先でしょ?更生して、無期刑が減刑されて出所して、善良な市民に戻ったとして、それからこの人は被害者遺族に対して何をどう償えるの?刑務所で、国民の税金で飯を食って暮らす事が「償い」なの?

人を殺した人が、生きていていいの?

全く理解出来ません。私が親なら、この先「どうしたら犯人を殺せるか」だけを考えて生きていくと思う。そしてどんな手段を用いてでも、それを実行すると思う。その後、自分が被告になった時に「私は更生する可能性がある」と主張すると思う。

しゃないあなうんす(車内アナウンス)

「車内での携帯電話の利用はご遠慮下さい」
JR東日本から毎日アナウンスされる言葉。これを聞かされる度にいつも頭に浮かぶことがある。
1)オマエは何様のつもりだ。
2)この蒸し風呂のような車内環境は改善されなくて良いのか。
3)携帯電話さえ使わなければ、このエロ新聞を広げるジジイも許されるのか。
4)そんなことをわざわざアナウンスしなければならないほど日本人はバカなのか。

しゅっぱんしゃ(出版社)

偉そうな人が多い。偉いのではなく偉そうな人というところが問題。仕事柄「医学系出版社」との付き合いが多く、手紙やメール、電話でのやり取りが多いのだが、常に「私たちは医学の進歩に貢献している」という妙な自負を持っていることが感じられる。直接会ってみると案の定、背骨が折れるのではないかと思う程踏ん反り返っている。知り合いに「他の業界の出版社はどう?」と訊いてみると、「そうそう、同じ」と。版権を保有している事と作品を生み出している事の区別がつかなくなり、自らが時代の番人であるかの如く錯覚している。単なる商業主義を「文化」というオブラートに包み、水戸黄門の印籠のように権力を振りかざす。
あ・の・ね、作品を生み出してるのは執筆者であって、君たちじゃないでしょ?君たちはただ自分たちの利益のために動いている寄生虫でしょ?寄生虫は寄生虫としての自負を持って生きて下さい。

しょこたん(しょこたん)

ファンである。
「ブログ」というコミュニケーションツールは、彼女のために用意されたのではないか、そう思えるほど彼女の「怒濤の更新」は痛快である。特に、料理に対する彼女の生真面目な姿勢と、その結果とのギャップは、彼女が常人とは別世界に住む生きものであることを証明している。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用
本名の「中川しようこ」については自身の著書の『しょこ☆まにゅ』で詳しく書かれている。それによれば出産時に母子ともに危険な状態であったため、暫くの間母親が入院し続ける必要があり、伯母が母親の代理として区役所に名前を届けに行ってもらったという。そこで伯母が妹の娘の名前を「薔子」として区役所に提出しようとしたが、「薔」の字が常用漢字及び人名用漢字でなかったため受理されず憤慨、怒りのあまりその場でひらがなで「しょうこ」と書き殴って提出した事による。しかし本来の意図としては「しょうこ」だったが、殴り書きの文字を「ょ」と「よ」の区別が付かなかったために戸籍上「しようこ」と誤って登録されてしまった。この事を中川が知ったのは、成人になってからである。

しんきんかん(親近感)

今までに観た映画の中で、あなたが親近感を抱いた、或いは感情移入出来た登場人物を数名挙げて下さい。また、可能ならその理由を教えて下さい。

『タクシードライバー』の主人公、ロバート・デ・ニーロ
『ブレードランナー』のレプリカント役、ルトガー・ハウアー
『ブレイブ』の主人公、ジョニー・デップ
『アルプスの少女ハイジ』のおじいさん

怒りと憎しみ、愛と諦念。
どんづまり(笑)。

じっぽ(Zippo)

以前は「いつ無くしても後悔しない」100円ライター派であったが、最近はずっとZippoを愛用している。タバコが『嗜好』であるのなら、それに火を付けるという行為もまた趣味であるべきと思い至ったからである。ポケットから取り出し、蓋を開け、火を付け、蓋を閉め、ポケットにしまうという一連の動作の中で、このZippoの『音と重さ』が大切なのだと思う。「風に強い」ということもよく言われているが、実際に風の強い所で火を付けてみると、むしろ自分の指が「火に弱い」ことを思い知らされる。

じゃくにくきょうしょく(弱肉強食)

世の中の基本的な原則の中で、最も真理に近いもの。
第88回全国高校野球選手権大会はドラマチックなエンディングであった。何年経っても「ああ、あの試合」と、人々の記憶に残ることだろう。その素晴らしさやハンカチのエピソードはここでは書かない。紹介するのは今大会の東北地方予選での出来事である。ニュースの記事を引用する。
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問題の行為は7回表、雨が降り続く中であった。高校野球では、7回が終了すれば雨天でコールドが成立し、そこまでの得点の多いチームが勝者になる場面だった。12—1でリードしていた●●高校の▲▲監督が、1死二塁の攻撃で、打者を呼んで空振りを指示した。打者は三振し、走者も無気力走塁でわざとアウトになった。試合はそのまま7回裏で●●高校が12—1のコールド勝ち。
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当然ニュース内では「正々堂々という高校野球の理念に反する行為」として非難されていたんだけど、どうかな。
私はこの行為が悪い事だとは少しも思わない。「正々堂々」を教えるのも、「弱肉強食」を教えるのも、どちらも教育。残念なのはこの行為を監督が指示してしまったという事。選手には監督の指示に従う他に選択肢が無い。もし選手が自主的に考えてコールド勝ちを狙ったのであれば、何ら非難されるべき点は見当たらない。「勝てばいい」、「負けても正しく」、どちらを選択するかは個人の自由である。彼ら高校生は近い将来、社会の中で必ずこの「選択」の場面に出会うことになるのだから。

すいか(スイカ)

所ジョージの名曲。私の頭の中ではかなり頻繁に流れている。
「スイカ見事に真っ二つ ちゃぶ台の上で真っ二つ」
歌詞はこれをひたすらリピートするだけだったと思う。だから全文引用になってしまうので本当は著作権に触れるけど、許してね。この歌詞に「詩」を感じると言ったら変だろうか?頭の中を静かでクリアな状態にして、イメージして欲しい。
(叙情編)
夏の午後である。陽射しが強くかなり暑い日だけれど、縁側からはやさしい風も吹いて来て、時折風鈴を揺らしてくれる。遠くで蝉が鳴いている。そろそろ子供たちが帰ってくる時間。汗をかいて真っ赤になった顔が浮かぶ。西瓜を食べさせてあげよう。畳の上にちゃぶ台、ちゃぶ台の上に西瓜。そしてその西瓜に包丁を入れると、弾けるような音と共に真っ二つ。切り口は輝いているはずだ。
(シュール編)
自分がどうして今ここにいるのかは分らない。長い長い廊下の隅に立っている。床も壁も眩しいほど真っ白だ。出口はどこだろう。ドアは見当たらない。自分はどこからここに入ってきたのだろう。仕方なく前に進んでみる。真っすぐ真っすぐ進んでみる。ようやく突き当たりの壁が見えてくる。しかしドアは付いていない。壁の前に立ち途方に暮れる。ひどく自分が疲弊していることに気付く。これは夢なのかもしれない。夢ならば、そう、夢ならばもう一度眠って目を覚ませばきっといつものベッドの中に戻れるに違いない。そうだ、そうしよう。床に座るために振り返ると、足下にちゃぶ台が置かれている。真っ二つになったスイカが乗せられている。

すかいらーく(スカイラーク)

「絶望」の代名詞。「もう僕は人生にすかいらーくした」「しっかりしろ、すかいらーくするのはまだ早い」などとよく使われる。不思議なことに世の中にはカネを払って絶望を買う人もいる。(反意語:ロイヤルホスト)

すてぃーぶ まっくぃーん(Steve McQueen)

私の中の「ヒーロー」。男の美学の結晶とも思える人物である。
いろいろな映画関連サイトに載っている、彼の略歴をまずは紹介しよう。
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飛行機の曲乗り師だった父は生後6カ月で蒸発。母方の伯父のもと、ミズーリの牧場で育つ。9歳、12歳の時に母が二度再婚し、ロサンジェルスに移るが不良グループと交際。14歳でカリフォルニアの少年院に収容され1年半を送る。出所後、職を転々としていた時に女友達の勧めで演技を学び、舞台を経て1956年「傷だらけの栄光」で映画デビュー。以後、CBSテレビの「拳銃無宿」で人気スターとなり、アクション・スターとして映画界の頂点に立つ。肺ガンにより1980年に死亡。彼の遺灰は太平洋にまかれた。
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もうこれだけで、彼の半分は理解出来るのではないかとさえ思える。波乱に満ちていると同時に、実に「成り行き任せ」的な匂いのする生き方である。もちろん「成り行き任せ」という言葉を、私は肯定的に使っている。一つの目標を定めて、それに向って努力を積み重ねる生き方は大変そうに見えるが、実はそうでもない。得体の知れない「世の中」という海を、成り行き任せに生きる事の方がはるかに難しく、体力を必要とする。成り行きに任せるという事は、より多くを引き受けるという事に他ならない。
彼の魅力も、この生き方に根差したものであるように思う。どんな役柄を演じていても、彼から伝わってくるのはいつも次の無言の台詞である。

「ち、また妙な具合になってきやがった」
「ああ、そうさ、オレはここにいるよ」
「好きにやらせてもらうさ」
「ダメな時はダメ、上手く行く時は上手く行くのさ」

潔い生き方である。肺ガンになった時に行った記者会見では、彼はこの台詞を声に出して爽やかに言い放った。

せんそう(戦争)

『炎のランナー』という映画をご存知だろうか。第一次大戦直後のオリンピックを舞台に、さまざまな若者のそれぞれの生き方を描いた佳作である。冒頭、主人公の一人であるハロルドがケンブリッジ大学キーズ寮にやってくる。フロントで入寮の手続きのためにハロルドと事務員が挨拶をしている.....
「新入生です」
「見りゃ分かるよ、坊や、名前は?」
「ハロルド・エイブラムス」
「出身校はレプトン?」
「そうです、卒業は一年前」
「軍隊だね、フランス戦線?」
「間に合わなかった」
「残念だね」
「戦死者はそんな風に思ってない」

ぜったいかれし(絶対彼氏)

様々な部分が調和して、美しい全体が出来上がる様子。
(反意語:薔薇のない花屋)

いいドラマでした。特に最終話は、最近のドラマの中では極めて秀逸な出来栄えだと思います。原作やキャストも優れていたのでしょうが、何と言っても脚本・演出によるテンポの良さが光りました。

原作を知らなくても、ドラマが最終回に近づくにつれて誰もが「ああ、きっとこういう終わり方をするんだろうな」と読めたはず。その予想通りに物語は進行し、終わり、そしておそらく誰もが、思っていたより心を揺さぶられたのではないでしょうか。

天城ナイト(速水もこみち)が死んでしまう「その時」に近づいていく加速感。それまでゆったりと流れていた川が、滝に向かって急流になっていくような緊迫感。その流れの中で強くなっていく梨衣子とナイトの絆、希薄になっていく創志の存在、それぞれの思い、みんなの笑顔、祝福、願い...そして「その時」。

もっと描いておきたい風景や、掘り下げておきたい人間関係もあったんだと思います。でも、それを省いた。省いたことでこの最終話は見事な交響曲として成り立ったと思います。

Bravo!

そにー(SONY)

モノが壊れた時に人々が発する「It's a SONY!」という捨て台詞の語源となったメーカー。
今や知らない人はいない「ソニータイマー」。その精度は驚くべきもので、保証期間が過ぎてしばらくすると間違いなく発動する。しかも、最近の製品にはオリジナリティのかけらも無い。Appleコンピュータ、CASIO、Panasonicが示す「新しさ」が無い。遠い昔、彼らは開拓精神に満ちていた。彼らの造り出すものは全て、品質・デザイン・アイデア共に世界一であった。私が少年の頃親に買ってもらったラジオは、他のどんなラジオより音が良く、小さく、美しく、そして長持ちした。1979年のウォークマン登場によって、世界中は音楽でいっぱいになった。一体彼らに何が起こったのか?企業を人に例えるなら、病気なのか?太り過ぎてしまったということか?それとも計算ずくの妥協か?だとすれば、悲しい事である。多くの人が彼らに期待するのは、安い製品の安定供給ではない。

そにーにいさん(ソニー兄さん)

映画「Godfather」でジェームズ・カーンが演じたコルレオーネ家の長男。すぐ怒る。本当はやさしい人なのに、あまりにも感情的な性格のため他人に誤解されるタイプの人をこう呼ぶ。なだめる時は「ハイ、サニー、イーズィー、イーズィー」と声をかけよう。三部作のこの映画の中で、私が最も親近感を持つキャラクターである。