なかたひでとし(中田英寿)

2006年ワールドカップの直前に彼は言った。「日本代表チームは強くなってるんだろうか?一人一人のテクニックやパワーは確かに上達している。でも、チームとして強くなっているんだろうか?」
彼の言葉が正しかった事は、予選敗退という結果が見事に証明した。
彼がいなければワールドカップに出場すら出来なかった事は明白である。彼は今までの日本のサッカー選手の誰よりも才能に恵まれ、努力をし、日本サッカーのために尽力した選手である。しかし...。
サッカーは意思伝達のスポーツである。試合中に数限りなく放出される「意思」というボールを、目に見えぬベクトルを信じて仲間とやり取りをするスポーツである。彼のベクトルは仲間に伝わっていただろうか?私の目にはそのコミュニケーションが見えなかった。
彼はマスコミが嫌いである。それは誰の目にも明らかで、彼へのインタービューの放映はいつも妙な緊張感を伴っている。その緊張感こそが、彼と他の選手との間に溝を作ってしまうのではないか?
彼を弁護する人は言うだろう。「マスコミは彼の本当の姿を理解していない」「彼が嫌いなのは、無知で遠慮の無いインタビュアー」「彼ほど真面目に日本サッカーの事を考えてる人はいない」「彼とコミュニケーションが取れないのは、その人のレベルが彼と違い過ぎるから」
確かにそうなのかもしれない。同じ事を繰り返し質問する無能なインタビュアーに、「あなた、僕の話聞いてます?」と苛立つ彼は間違っていない。最も得点の可能性の高いポイントに出した彼の精度の高いパスを、受け止められるだけの選手がいなかったということなのかもしれない。しかし...。
サッカーは意思伝達のスポーツである。自分と違う人間、自分の事を理解出来そうにない人間に、自分をどう伝えるかが重要なのである。彼自身がこの事を一番良く分っていたのではないだろうか。予選敗退が決定した最後の試合の後、他の選手がスタンドに手を振っている時に彼はフィールドに仰向けになっていた。

なすかー(NASCAR)

National Asociation for Stock Car Auto Racing(全米ストックカー・レーシング協会)の略。市販車に似たマシン(ストックカー)に700馬力以上のエンジンを積んで時速300キロでオーバルコースを走る(たまに普通のサーキットも走る)。日本では自動車レースと言えばまず『F1』ということになっているが、個人的にはNASCARレースの方が面白いと思う。最初に観た時は「ただのオーバルコースをぐるぐる回って、何が面白いのか」と感じたが、そこには実に奥深い『駆け引き』があって、知れば知るほどその魅力に引き込まれていった。F1レースが「マシン」主体であるのに対し、NASCARレースは「人間」が中心になって展開されている。タイヤ/エンジン(の能力)が規定によって統一され、ボディも市販車と同じ形状であることで、よりドライバーの能力、ピットクルーの作業スピード、サーキット毎、ピットイン毎のセッティング(空気圧を変えたり、サスペンションにくさびを挟んで硬さを調整したりもしている)が重要となってくるのである。さらに「フォーミュラカーではない」イコール「多少ぶつけても大丈夫」というハードな展開。最後の一周まで目が離せない。

なつ(夏)

寺山修司。「僕は不完全な死体としてこの世に生まれてきた」という彼の言葉には少なからず衝撃を受けた。夏になると何故か毎年彼のことを思い出す。特に彼の作品に詳しいわけでもなく、何故結びつくのかは分からない。「夏」という言葉、字面を見ていると、彼の歌の中で描かれていた少年の姿が浮かんでくる。少年は野原に、今でも挑むような眼をして立っている。火照った頬には少し風が吹いていて。

ねっとすけーぷ 6(Netscape 6)

不可解でひどい有様であること。理不尽であること。「君の言うことはさっぱりNetscape 6だ」「そんなむごいことを.....それではまるでNetscape 6」などとよく使われる。また、自分の立場というものが全く分かっていない人間の例えとしても使われる。そういう意味では「森総理」と同義語。やれW3Cの勧告だ、HTML4.1だ、モジラだゲッコーだと騒ぐ前に、ソフトウェア自身の基本的な品質を向上して欲しい。あれだけメモリを使って一体何を解析しているのか?超ヘビー級と言われるグラフィックソフトの上を行くあの動作の遅さは何なのか?Internet ExplorerにWEBブラウザのシェアを奪われ焦る気持ちは理解できるが、リリースしたVer.6(特にMac版)はとても製品と呼べるレベルに達していない。ユーザーにバグ取りを任せるという姿勢は、むしろMicrosoft的とも言える。無料だから許されると思っているのなら大きな間違いで、こちらとしては慰謝料を請求したいとさえ思う。Macintoshでさえ"標準ブラウザ"としてしまったInternet Explorerを苦々しく思い、何とか失地回復を期待していた古くからのNetscapeユーザーほど、今回のVer.6に対する失望感は大きいのではないだろうか。このままでは失地回復どころか、『その役目を終えたNetscape』というシナリオの進行が加速されるばかりである。