わらいばなし(笑い話)

谷川俊太郎の『33の質問』という本がある。そこにはタイトル通り33の質問が用意されていて、読者がそれに答えることで読者自身の中の「何か」がinspireされる仕掛けになっている(興味のある方は是非読んでみて欲しい。さまざまな人にその質問に答えてもらい、著者がその相手と対談するという内容だったと思う。その33の質問の中の「好きな笑い話をひとつ、披露して下さいませんか?」に対する答え(誰の答えだったか、あるいは著者本人の答えだったか)の一つが妙に印象深かったので紹介したい。
ジャングルの一本道を歩いていると一匹の象が両足を前に投げ出してこちら向きに座っている。不思議に思ったので訊いてみた。
「象さんこんにちは、ここで何をしているの?」
象は静かにこう答えた。
「この道をもう少し先に進むと分かるよ」
そこで一本道をさらに先へと進むと、またしても象が座っている。さっきの象と同じ姿勢だが、今度はこちらに背を向けている。
「象さんこんにちは、ついさっきも君と同じような象さんがいたけど、一体君たちは何をしているの?」
象は静かに答えた。
「僕たちブックエンドごっこをしてるんだ」

るびー(ルビー)

日本語では紅玉と書かれる赤い宝石。最近実物をじっくりと見る機会があり、その「宝石らしい」輝きにすっかりルビーのファンになった。その美しく、深い輝きは花で例えるとやはり薔薇であろうか。薔薇と同様ルビーにも棘があるので気をつけた方がいい。「アタシ、ダイヤなんて欲しくない 誕生石のルビーでいいわ」などと言われ、迂闊に返事をしたりするととんでもないことになる。良質なものは恐ろしく高価なのだ。

るーむさーびす(ルームサービス)

考えられないようなことが起こって驚くさまを表す言葉。「そ、そんな、ルームサービスな!」などとよく使われる。
ホテルのルームサービスは恐ろしい。値段が高いだけではなく、時には人に怪我をさせることあるのだ。先日京都に旅行した私は、うっかりこのルームサービスで夕食を頼んでしまった。運ばれてきたのは私の食べるハンバーグステーキと妻の食べる海鮮ピラフ。TVを見ながら「まあ、特別美味しくもないし不味くもないね」とのんびりと食事をし、満腹した。ここまでは良かった。食事の後に風呂に入り、明日の予定などを話し合っているうちに、旅の疲れからかいつもより早めに眠気がやってきた。「じゃ、寝よう」とベッドに入ろうとしたとき、ふと気付いた。テーブルの上に置いたトレーと食器、このままで良いのだろうか?目障りだし、きれいに食べているとはいえ匂いも気になる。そこでそのトレーと食器類をきれいに重ね、部屋の入り口付近の通路(バスルームの前)に置いて、ベッドに入った。ここまでは良かった。察しの良い読者の方なら、この辺りでもうオチが見えているかもしれない。翌朝、私はトイレに行きたくて目が覚める。私の視力は両眼でも0.1くらい。トイレ(バスルーム)の前の通路は暗い。私は半分まだ眠っている。ヨタヨタと歩いていく。歩いていく。歩いていく。(完)

ゆうびんきょく(郵便局)

間違ったことはしていないが、その姿勢に何かもう一つ物足りないものを感じる時に使う言葉。
「今日の試合、巨人は10本のヒットで僅か1点のみ」
「そうですねぇ、選手はよく頑張っているんですが、ちょっと郵便局ですね」
などとよく使われる。
先日、年賀状の切手を買いに行った時の事である。私は年賀状に使う¥50切手を40枚、普段よく使いそうな¥20切手を10枚、合計¥2,200分の切手を買った。手元に1万円札しかなかったので、¥10,000とポケットに入っていた¥200をあわせて窓口に。おつりはちょうど¥8,000となるはずだったのだが.....、何故か出されたオツリに10円玉が混じっている。
「はて、消費税は関係ないはずだし、.....ん?」
とレシートを見る私に、郵便局の窓口の人はものすごく丁寧に、かつにこやかにこう言った。
「はい、お客様から¥10,020のお預かりでしたので」
.....
そう、私が出したと思っていた¥200は¥20だったのですね(笑)。なるほど。それは確かにその通り。ええ、ええ、まったくその通りでございます。非の打ち所のない完璧な窓口業務でございます。.....で、でもさぁ、お金を出した時点でさぁ、あれ?って、思ってるわけでしょ?その時に「ん?お客様、¥10,000と¥20でございますね?」って、にこやかに私の間違いを指摘してくれてもイイのではないかと、思うのですよ。それともアレかなぁ、そういう風に指摘され「何だコノヤロー、オレが出した金なんだ、そのまま受け取れねえのか」とか、そういうトラブルの元になるとでも思ってるのかなぁ。今回の郵便局だけではなく、過去お世話になった郵便局の窓口の人っていつもみんな親切で丁寧な対応をしてくれる人ばかりなので、責めてるわけじゃないんだけど、ね。

やわはだの...(やわ肌の...)

やわ肌のあつき血潮に触れも見でさびしからずや道を説く君
ご存知の通り与謝野晶子の歌であるが、昔この歌がTV-CMに使われていたのを憶えている方はいるだろうか。サントリーワイン『レゼルブ』のCM。ナレーションは森山周一郎氏だったと思う。「人は美しく生きて.....」というセリフが妙に心に残っている。最近では当たり前になってしまったCMの手法(商品の具体的な効能については語らずに、その商品の持つイメージだけをメッセージとして流す)を日本に浸透させたのはこの企業ではなかろうか。

まんいんでんしゃ(満員電車)

日本人の精神的貧しさを象徴する乗り物。誰もが不快に思っているのに、誰もそのメカニズムに反論しない。蒸し風呂のようになっていても、窓さえ開けようとしない。そのくせ自分だけは少しでも楽をしようとする輩も多い。
通勤時、混んだ電車に乗っていて疑問に思うことは無いだろうか?「この人は何故今立っている所から動こうとしないのか?」と思うことは無いだろうか?駅に着くたびにドアが開き、大量の人間が流れ込んでくる。その流れを何とかして堰き止めようと、人柱にでもなったかのごとく、頑なに自分のポジションを守ろうとする人を私はよく見かける。実に迷惑な話である。私は男であるから、相手が男の場合は筋力勝負に出る。それで解決する。困るのは女の場合である。下手に押したりするとどんな言いがかりを付けられるか分からない。最近少しずつ普及している「女性専用車両」の終日運転を希望する。化粧品の刺激臭が充満した車内で、どうか窒息して下さい。

まえむきにけんとうする(前向きに検討する)

何もしないということ。政治家がよく使う。日本語の曖昧さを悪用すると、いくらでも同じような言い回しが可能になる。「善処したい」も同義語として有名であるが、こちらはまだ「したい」という言葉を使い、これは願望であるよと表明しているだけ良心的。

まいくろそふと(Microsoft)

鬼畜。

ふるーつぎゅうにゅう(フルーツ牛乳)

昭和30〜40年代、銭湯で売られている飲み物の中で「コーヒー牛乳」と共に子供から親しまれた得体の知れない飲み物(失礼)。色はオレンジのようでピンクのようで肌色という感じもあり、牛乳であるから当然乳白がかっている。味は、味は説明に苦しむ。桃の味がしたような、そこに柑橘系の味も混ざっていたような、トロピカルと言えば言えなくもないような。とにかく、私はよく飲んだ。子供心に「これはとっても清らかな味がする」と、訳の分からない感想を持って飲んでいたのである。

ねっとすけーぷ 6(Netscape 6)

不可解でひどい有様であること。理不尽であること。「君の言うことはさっぱりNetscape 6だ」「そんなむごいことを.....それではまるでNetscape 6」などとよく使われる。また、自分の立場というものが全く分かっていない人間の例えとしても使われる。そういう意味では「森総理」と同義語。やれW3Cの勧告だ、HTML4.1だ、モジラだゲッコーだと騒ぐ前に、ソフトウェア自身の基本的な品質を向上して欲しい。あれだけメモリを使って一体何を解析しているのか?超ヘビー級と言われるグラフィックソフトの上を行くあの動作の遅さは何なのか?Internet ExplorerにWEBブラウザのシェアを奪われ焦る気持ちは理解できるが、リリースしたVer.6(特にMac版)はとても製品と呼べるレベルに達していない。ユーザーにバグ取りを任せるという姿勢は、むしろMicrosoft的とも言える。無料だから許されると思っているのなら大きな間違いで、こちらとしては慰謝料を請求したいとさえ思う。Macintoshでさえ"標準ブラウザ"としてしまったInternet Explorerを苦々しく思い、何とか失地回復を期待していた古くからのNetscapeユーザーほど、今回のVer.6に対する失望感は大きいのではないだろうか。このままでは失地回復どころか、『その役目を終えたNetscape』というシナリオの進行が加速されるばかりである。

なつ(夏)

寺山修司。「僕は不完全な死体としてこの世に生まれてきた」という彼の言葉には少なからず衝撃を受けた。夏になると何故か毎年彼のことを思い出す。特に彼の作品に詳しいわけでもなく、何故結びつくのかは分からない。「夏」という言葉、字面を見ていると、彼の歌の中で描かれていた少年の姿が浮かんでくる。少年は野原に、今でも挑むような眼をして立っている。火照った頬には少し風が吹いていて。

なすかー(NASCAR)

National Asociation for Stock Car Auto Racing(全米ストックカー・レーシング協会)の略。市販車に似たマシン(ストックカー)に700馬力以上のエンジンを積んで時速300キロでオーバルコースを走る(たまに普通のサーキットも走る)。日本では自動車レースと言えばまず『F1』ということになっているが、個人的にはNASCARレースの方が面白いと思う。最初に観た時は「ただのオーバルコースをぐるぐる回って、何が面白いのか」と感じたが、そこには実に奥深い『駆け引き』があって、知れば知るほどその魅力に引き込まれていった。F1レースが「マシン」主体であるのに対し、NASCARレースは「人間」が中心になって展開されている。タイヤ/エンジン(の能力)が規定によって統一され、ボディも市販車と同じ形状であることで、よりドライバーの能力、ピットクルーの作業スピード、サーキット毎、ピットイン毎のセッティング(空気圧を変えたり、サスペンションにくさびを挟んで硬さを調整したりもしている)が重要となってくるのである。さらに「フォーミュラカーではない」イコール「多少ぶつけても大丈夫」というハードな展開。最後の一周まで目が離せない。

てんのう(天皇)

私は天皇制を支持する。難しい議論、天皇制の歴史や日本国の在り方、民主主義についてなど、書くことはいくらでもあるし、それについての賛否もそれ以上にあるとは思うが、ここでは触れない。ただひとつ、天皇制を支持する最も単純な理由だけを述べたい。

外国人から「今あなたの国で一番偉い人、あなたの国を代表する人は誰ですか?」と問われた時に、答えを持ちたいと思うからである。総理大臣などの名前を口にしたくはないし、資本主義経済の成功者の名前も挙げたくない。日本を導いた偉人は過去にいくらでもいるが、「今」「誰」の答えにはならない。だから『天皇』なのである。権力者としてではなく、定義されている『象徴』そのものとして。

でんちゅう(電柱)

♪僕は3丁目の電柱です。雨の日風の日街角に立ち、通りを見てます眺めています♪.....いい詩だと思う。東京電力のCMソングであったと記憶している。最近は送電線の地下ケーブル化が進み、その数は気付かぬうちにどんどん減ってきている。その昔、木で出来ている電柱に裸電球が街灯として取り付けられていた頃、夜はまだ暗いものであった。

でじたるかめら-その2(デジタルカメラ-その2)

本屋に並ぶデジカメ雑誌をパラパラと立ち読みしていて、何だか妙な気持ちになってしまった。「初心者のためのデジカメ選び」の類、「きれいに写すには」の類、その辺りまでは素直に読めたのだが、「きれいに仕上げる」のあたりから気分は複雑になってくる。そこには『パソコンでの加工』のありとあらゆる技法が書かれている。「こんな失敗をした時は」から始まり、「さらに美しく見せるには」と続く.....
写真は「ありのまま」に写るから面白いのではないのか。その機能は時に撮影者の意図を裏切るけれど、それもまた写真の魅力ではないのか。「自分の目で見ているもの」と「自分で見た(と思っている)もの」の違い、写真はそれを教えてくれる。人間は狡く出来ているから、今見ている被写体を必ず何処かで自分の好みに修正してしまう。出来上がった写真を見たときに「こんなはずではない、もっと.....」と思うのは、(露出ミスやピンぼけは別として)自分の記憶を無意識に修正してしまっているからだ。逆に、何気なく撮ったスナップの1コマが思いがけず印象深い作品になってしまうこともある。プロと呼ばれる人たちは、その辺りをしっかりと計算に入れてシャッターを切る。ファインダー越しに自分が今見ている被写体が、写真になった時にどう変わるかを予測しているのである。写真が自己表現である以上、出来る限り自分が写したかった風景を自分の好みに仕上げたいとは思う。だが、上に書いたパソコン上での『加工』はどうだろう。それはもはや写真とは別の、コンピュータ・グラフィクスなのではなかろうか。そうすることを否定はしないが、それを「写真」であるとは言って欲しくない。

でじたるかめら-その1(デジタルカメラ-その1)

地球暦2001年、帝国暦3年。カイザー・シロクマンは、デジタルカメラOLYMPUS/E-10を手に入れるために、それまで愛用していたフィルムカメラを全て売り払うという暴挙に出た。
彼は、総重量にして5kgを超えるNikon艦隊を始め、唯一の中判戦艦である「Mamiya 6」、機動力では敵なしと恐れられた駆逐艦「Konika ヘキサー」、さらにはストロボ、レリーズといった小部隊までをも引き連れ、小惑星マップカメラに奇襲をかけたのである。この突然の攻撃に対し、ただでさえ日曜日のおやぢ族から連続攻撃を受けていたマップカメラは、「ちょっとお時間がかかります」と降伏せざるを得なかった。「フィルムをスキャンしてモニタで見るのは無理があるなぁ」と妻に呟いてから僅か3日目のことである。この戦いで運良く生き残った駆逐艦「ヘキサー」と、代償として手に入れた20数万円の現金を手に、彼は「最も発達した経済」の象徴である惑星ヨドバシカメラに強行着陸。間髪を入れずに目的であったOLYMPUS/E-10を奪取する。シロクマンは言った.....「これでカメラバッグが軽くなるね」。
銀河の歴史がまた一頁。

でかると(デカルト)

フランスの哲学者・数学者(1596-1650)。高校に通っていた私を、見事におかしな方向へと導いてくれた人。当時の私が『方法序説』を理解出来たのかどうかは疑問であるが、名文句「我思う故に我在り」に感化されたことは間違い無い。彼から始まり、約3年間『実存主義の旅』が続くことになるのだが、そんなことはどうでも良い。デカルトには申し訳ないが、今回この辞書に彼の名前を入れたのは、次に書くパロディを紹介したかったためである。なつかしい雑誌、『ビックリハウス』の読者投稿欄に載っていたと記憶している。

我思う故に我在りと我思うと俺もそう思う

せんそう(戦争)

『炎のランナー』という映画をご存知だろうか。第一次大戦直後のオリンピックを舞台に、さまざまな若者のそれぞれの生き方を描いた佳作である。冒頭、主人公の一人であるハロルドがケンブリッジ大学キーズ寮にやってくる。フロントで入寮の手続きのためにハロルドと事務員が挨拶をしている.....
「新入生です」
「見りゃ分かるよ、坊や、名前は?」
「ハロルド・エイブラムス」
「出身校はレプトン?」
「そうです、卒業は一年前」
「軍隊だね、フランス戦線?」
「間に合わなかった」
「残念だね」
「戦死者はそんな風に思ってない」

すかいらーく(スカイラーク)

「絶望」の代名詞。「もう僕は人生にすかいらーくした」「しっかりしろ、すかいらーくするのはまだ早い」などとよく使われる。不思議なことに世の中にはカネを払って絶望を買う人もいる。(反意語:ロイヤルホスト)

しゃないあなうんす(車内アナウンス)

「車内での携帯電話の利用はご遠慮下さい」
JR東日本から毎日アナウンスされる言葉。これを聞かされる度にいつも頭に浮かぶことがある。
1)オマエは何様のつもりだ。
2)この蒸し風呂のような車内環境は改善されなくて良いのか。
3)携帯電話さえ使わなければ、このエロ新聞を広げるジジイも許されるのか。
4)そんなことをわざわざアナウンスしなければならないほど日本人はバカなのか。

じっぽ(Zippo)

以前は「いつ無くしても後悔しない」100円ライター派であったが、最近はずっとZippoを愛用している。タバコが『嗜好』であるのなら、それに火を付けるという行為もまた趣味であるべきと思い至ったからである。ポケットから取り出し、蓋を開け、火を付け、蓋を閉め、ポケットにしまうという一連の動作の中で、このZippoの『音と重さ』が大切なのだと思う。「風に強い」ということもよく言われているが、実際に風の強い所で火を付けてみると、むしろ自分の指が「火に弱い」ことを思い知らされる。

ぎんがえいゆうでんせつ(銀河英雄伝説)

独断で言い切ってしまうと、性善説と性悪説の闘い。性善説を信じればラインハルトが、性悪説を信じればヤンが、それぞれヒーローとして眼に映るのではないか。私はもちろん後者である。

かんのうてき(官能的)

『官能』は直訳すれば「感覚をおこす諸器官の働き」となるが、通常は性的な刺激を呼び起こされるような状況(雰囲気)に対して使われることが多い。この「状況(雰囲気)」という曖昧な言葉で分かる通り、官能の定義は難しい。例えば、直接異性の体に触れての性的刺激は『肉欲』、性器を露出した写真などは『猥褻』と、それぞれ違う表現になり『官能』とは呼べない。強いて言い換えれば『色気』、か。色ではなく色の気配。見え隠れする性の匂いのことである。肉欲は股間に訴えてくるが、官能はまず脊髄に響く。

かおもわるけりゃせいかくもわるい(顔も悪けりゃ性格も悪い)

人間は顔で判断するべきだという考えに基づいた捨て台詞。私はよく使う。顔が悪いから性格が悪くなるのか、性格が悪いから顔が悪くなるのか、ニワトリと卵の話と同じで結論は出ていない。こう書くと「それは偏見、差別」という非難の声も聞こえてくるが、誤解しないで欲しい。「悪い顔」というのは何も目や鼻の形の事を言っているのではない。人間の顔には必ずその人間の「性格」が表れるということを言いたいのである。顔と性格、どちらか一方が良くなれば必ずもう一方も良くなる。これは科学である。そういう意味では「病は気から」と同義語。

うみのうえのぴあにすと(海の上のピアニスト)

船の中で生まれ、その一生を船と共に終えたピアニストの物語.....では説明にならないか。まあ、仕方がない。映画一編を数行の言葉で表すことなど出来ないし、作った人間に対して失礼なことだ。興味のある方は観て欲しい。観て損はしない秀作である。この映画に限らず、『音楽』がテーマになったストーリーにはいつも心を動かされる。私にとって音楽は、常に神秘の存在である。他の表現方法、例えば絵画、例えば写真、演劇、舞踏、文学など、あらゆる表現方法の中で、音楽が最も「受け取る人間のフィルターを通さずに」まっすぐ心に響くものだと思うからである。美しい音楽は人を幸せにするし、美しくない音楽がもたらす不快感を、人は抑えることが出来ない。

あるぷすのしょうじょはいじ(アルプスの少女ハイジ)

銀河英雄伝説やガンダムと共に、日本のアニメーションを代表する名作。アニメに限らず私がTVや映画で涙を流したのは過去この作品だけである。原作、作画、テンポ、声優、音楽、全てが見事に調和している。このアニメを観たことがあるかないかで、その後の人生が変わるのではないか、これを観ることを国民の義務としてはどうかとさえ思う。実は昨日もビデオを観た、けけけ。

あへん(阿片)

試してみたい。ジャン・コクトーや開高健らの作品に描かれている阿片に強く惹かれる。「10分間が1年にも感じられるような深い眠り」というような表現をされると、たまらない。人間は常に意識に縛られている。意識は不純物を多く含み、絶えず説明を求めてくるので好きじゃない。 意味や意義ではなく、存在だけが確かである瞬間、つまり人間が無意識になる状態、反射的な反応でのみ存在できる瞬間が好きである。例えば射精の瞬間、例えば睡眠に入る瞬間である。

あぶらあげ(油揚げ)

油揚げが豆腐から作られているということを、私は最近まで知らなかった。

あびせたおし(あびせ倒し)

私は『お相撲さん』が好きである。日本が世界に誇る地上最強の男たち。格闘技には様々なものがあり、それぞれが『最強』を謳っているが、私の中では『お相撲さん』がその頂点に立っている。あびせ倒しは決まり手のひとつであるが、それは『技』や『力』というものから人為的に生まれるというよりは、むしろ偶発的に発生することが多い。片方が全身の体重をかけて前進した時に、もう片方の押された側がなす術もなくひっくり返ってしまう。
「何するんだ、デブ!」「お前こそデブ!」

あどばるーん(アドバルーン)

高層建築がまだ少なかった頃には、価値のある広告塔であったに違いない。知らない人のために説明すると、空気よりも軽いガスを注入した巨大な風船の下に、これまた巨大な垂れ幕を付けてそこにメッセージ(宣伝文)を書いて空に浮かべるものである。もちろん地上とはロープで接続されている。昭和30〜40年代、デパートの屋上で遊ぶ少年であった私の目にはたくさんのアドバルーンが映っていた。カラフルなアドバルーンたちがあちらこちらのビルから立ち上がり風に漂う姿は、経済成長の『のろし』の様なものであった。最近はあまり見ることがなくなったと思っていたら、先日自分の住むマンションの屋上から空に伸びていた。

あとがき(後書き)

私の嫌いなもののひとつ。何か未練がましさを感じてしまう。もちろん「後書き」も含めて一つの作品として提示しているのであれば話は別だが、多くの場合そうではない。同様に、文庫本の小説の最後に付け加えられている「解説」も好きになれない。作品の評価は読み手自らが下せば良いのであって、他人の評価など読みたくもない。

あづまひでお(吾妻ひでお)

尊敬する人物の一人。漫画家。彼の作品はどれもみな味わい深い。 敢えて「ストーリー」というものを破壊し、そして何を再構築するのかと思えば何もしない。 それをそのまま作品としてしまう大胆さ。読み手の推測を超越した展開、破綻。そしてその作品を鑑賞に堪えうるものにするだけの画力。手塚治虫氏の作品と同様に、彼のキャラクターは紙の上で確かに動いている。

あせ(汗)

私は夏(東京の夏)が嫌いである。そのレベルは「嫌悪」をはるかに超えて「憎悪」に近い。いや、それ以上かもしれない。気象庁発表の最高気温が25度を上回るあたりからストレスを感じ始める。何故そんなに夏が嫌いか、暑いのが嫌なのか、それは全てこの汗によるものである。私のかく汗の量は尋常ではない。たぶんこの文章を読んでくれている方が想像している量の5倍は汗を流していると思う。これは誇張ではない。実際に夏に生活している私の姿を見た人間は、その汗を見て「超常現象」を感じるはずだ。ポルターガイストより恐ろしい。7月、8月ともなれば、朝の通勤で会社に到着するまでに、顔を拭くだけでハンカチ(タオルハンカチね)が使い物にならなくなる。そして、それだけの量の汗を吸収してもはや飽和状態となっている下着を身に付けたまま暮らす一日。
想像してみて欲しい。地獄である。

あくだま(悪玉)

手元の辞書には「江戸時代の絵草子などで、「悪」の字をまるい形の中に書いて悪人の顔をしたことから」という説明がある。ちょっと見てみたい。やはり悪の親玉の顔には「極悪」と書かれているのだろうか。戦う銭形平次は「善」と書かれているのだろうか。「善」と書かれている方に不信感を抱いてしまう私も「悪」だろうか。

あかせがわげんぺい(赤瀬川源平)

尊敬する人物の一人。芸術と日常の境界線、紙一重、剃刀一枚の境界線の上を、絶妙なバランス感覚を持って歩く人。"超芸術トマソン" "路上観察" "脳内リゾート"等、彼の造語は常に斬新で心に響く。尾辻克彦の名前で優れた小説も数多く残している。事物の持っている雰囲気、空気感、磁力といった、言葉では説明の出来ないものを巧みに表現する達人。

あいうぉんとゆー(I Want You)

ビートルズのアルバム『ABBEY ROAD』に収められたジョン・レノンの曲。私はこの曲がたいへん好きである。『LET IT BE』に収められた「Across The Universe」と同様に、彼の声の魅力が最大限に発揮されていて、何時間でも読経のように聴いていたいと思う。以前何かのTV番組が人間の声に含まれている『α波』について調査をして、彼の声を「α波を多く含んでいる声」のサンプルとして聴かせていたが、その声が持つ人を惹きつける魅力についての説明には不十分だった。彼は死んで「伝説」となり神格化された感もあるけれど、もっと単純に、歌い手としての彼の魅力がクローズアップされても良いのではないかと思う。

あい(愛)

確か遠藤周作氏の作品だったと思う。とある村で、一人の男が病気になって寝たきりになる。その病気を治す術は無く、しかも伝染性のものであったから、周りの人々は彼を遠ざけ、山の中腹にある人の近づかない小屋の中に彼を隔離した。人々は日に何度かその小屋のそばに食べ物を置いては逃げるように帰ってしまう。やがて時が経ち男の病状が進み、もはや時間の問題となった時、その村にイエスが現れる。ここでイエスが彼を救うのなら美しい奇跡の物語になるのであるが、そうではない。ここに現れるイエスは全くの無力なのである。水を葡萄酒に変えることも人々の苦痛を取り去ることもできない、ただの人としてイエスはやって来る。イエスは人々の話を聞き、病の男が寝ている小屋に向かう。小屋の中にはもう食べ物を口にすることも出来ず、苦痛に息を乱す男が寝ていた。イエスは彼の死期が近いことを悟る。イエスは彼の枕元に座り、手を握ってこう言うのだ。「私にはあなたの命を救うことが出来ない。あなたの苦痛を和らげることも出来ない。ただ、私はここに居る。あなたは一人ではない」

あーちぇりー(アーチェリー)

高校に通っていた頃、仲の良かったアーチェリー部の友人に「アーチェリーって日本の弓と違って誰でも簡単に的に当たりそうでイイよねー♪」と言ったら、次の日から無視されるようになった。

ああ(ああ)

これからもエロ映画というものは存続していくのだろうか?あまりにもビデオレンタルが普及してしまい、その存在価値がすっかり薄れてしまったようで寂しい。どう見ても中学生にしか見えない中学生が、必死に年齢を偽って映画館の窓口で切符を買うことが、正しい「性の目覚め」である。そこでその中学生は、西洋の女が「ああ.....いや」ではなく「ほぅ.....かもん」と身悶えることを学ぶ。

Photo_29(上野)

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Photo_28(巣鴨)

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Photo_27(FX7試し撮り_池袋編)

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Photo_26(FX7試し撮り_新宿編)

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Photo_25(FX7試し撮り_川口編)

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Photo_24(古代蓮の里)

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Photo_23(日比谷公園)

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Photo_22(葛西臨海公園)

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Photo_21(多摩Zoo)

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Photo_20(自由ヶ丘)

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Photo_19(川口神社)

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Photo_18(さきたま古墳)

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Photo_17(東京大仏_乗蓮寺)

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Photo_16(七里ヶ浜)

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Photo_15(鎌倉)

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Photo_14(大宮公園)

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Photo_13(ディズニーランド)

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Photo_12(新宿一丁目)

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Photo_11(Eine Kleine Nachtmusik)

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Photo_10(水族館)

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Photo_09(川越)

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Photo_08(京都)

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Photo_07(パレード)

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Photo_06(散歩日和_初冬の午後)

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Photo_05(月曜日の朝)

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Photo_04(散歩日和_ 秋の陽射し)

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Photo_03(縁日_熊野神社/新宿)

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ここからデジタルカメラでの撮影です。

Photo_02(小樽 Side_B)

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Nikon+コダクロームで撮影したものを、フィルムスキャンしてます。

Photo_01(小樽 Side_A)

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Nikon+コダクロームで撮影したものを、フィルムスキャンしてます。

Poem_05(鬼)

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Poem_04(海)

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Poem_03(喫茶店ポニー)

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Poem_02(八月)

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Poem_01(カラス)

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