いのり(祈り)

過酷な現実に打ちのめされた人間が、無駄と知りつつ行う儀式の事。砂漠に水を撒く行為に似ている。祈りは何処にも届かずに宙を彷徨い、神と呼ばれる残忍な存在によって定期的に消去される。

だが、私も祈る事はある。

先日、買い物に行った近所のショッピングセンターで「福引き」が行われていた。「お買い物3,000円以上で1回」あの「ガラガラ」を回せる。1等から4等までが当たり(お買い物券)で、その他にも特別賞があった。
会場はものすごい数の人である。ただでさえ人間の多い場所の嫌いな私が、苛々しながら行列に並んでいたのは言うまでもない。1分で50cmくらい、前進する。5分で2m50cmくらい、前進する。「ガラガラ」まではまだ10mはある。「はぁ...」と思いつつ、夕飯用に買った「ハスの挟み揚げ」をどう食べようか、何をつけて食べようかなどと妄想しながら耐えていた。
すると私の背中にゴツンと当たるものがある。最初は気にならなかったが、そのいやな感触は二度三度と繰り返された。「何なの?」と思い振り向くと、そこには年齢60歳くらいのオバサン。両手を前に出して抽選券を握りしめている。息遣いが荒い。興奮しているようだ。「はて?」と無視をする。1分が経過し、また50cmくらい前進する。するとまた背中にゴツンと、そのオバサンの握りこぶしが当たる...。つまり、私が50cmほど前進する度に、そのオバサンは75cmくらい前進するわけだ。早く「ガラガラ」したくてじっとしていられない様子である。私の苛立ちはさらに高まった。次に「ゴツン」と来た時に、私は体中の「念」を込めて、「殺すぞ」という視線で睨みつけた。だが無駄だった。オバサンの両目は「$$」の形になっている。何も見えてはいない。

ようやく私の番が来た。すっかり消耗した私は「ガラガラ」を回しながら、心から祈ったのである。

「どうかあのババアに当たりが出ませんように...」

ぽぴゅらす(ポピュラス)

同じ事を執拗に繰り返す事を苦にしない性格の事。同義語に「職人気質」「パラノイア」がある。

「印象に残るゲームは?」と聞かれたなら、
『ポピュラス』
『大戦略』
『マッデンNFL』
『グランツーリスモ』
『サイレントヒル』
『バイオハザード』
『ウンジャマラミー』
『ケロケロキング』
『どうぶつの森』
と答える。

どれも名作揃いだが、一つだけ「今」プレイ出来ないゲームが含まれていた。それが『ポピュラス』。遠い昔、パソコン(Macintosh)でプレイしたように記憶している。もしゲーム機用のソフトならば、手放すはずが無い。最初にプレイした時は「何だかよく分からないゲーム」「でもついやってしまうゲーム」という印象。それから数年間、「またやりたいなぁ」と思い続けていたが、不思議な事にリメイクされず、先日ようやくニンテンドーDS版が発売された。

面白い。
やはりこのゲームは面白い。DSの画面の大きさでグラフィック的に制限は多いものの、基本となるシステムは昔のままで、「ああ、懐かしい」「そうそう、昔もこれで困ったんだっけ」とニマニマしながらゲームを続けてしまう。どんなゲームかを知らない人は、下記リンクを参照して欲しい。

http://plusd.itmedia.co.jp/games/articles/0803/07/news007.html

このゲームの一番の特徴は、どうすれば勝てるか、どうすれば高得点につながるかが極めて分かりにくい事である。そういう意味では人を選ぶ。いち早く「コツ」をつかんで、その公式に従ってぐいぐいゲームを進めて快感を得るのが好きな人には向かない。むしろ「よく分からない」「分からないけど面白い」「この面クリアしたけどもう一回」と、同じ事を飽きもせずに繰り返す事に快感を見出せるタイプの人にお勧めである。

このゲームは人類の原始的な興亡を単純化して箱庭に詰めたものである。「リアルタイム・シミュレーション」の元祖と呼ばれる事も多い。「よく分からない」「分からないけど...」という感想は正しいのだと思う。それこそが「世の中」のシミュレーションではないか。

ばらのないはなや(薔薇のない花屋)

物事が少しずつ破綻していく様子を表す言葉。
同義語に「台無し」「spoil」などがある。

まず三浦友和が無表情でドラマを壊し、
続けて竹内結子が相変わらずの大根ぶりで引っ掻き回す。
序盤の重苦しい緊張感は何処へやら、
もはや脚本は空中分解して収拾がつかず、
中途半端なコメディにしか見えない。

P.S. 山下達郎さんへ
「あなた」を「あんなんた」と歌うのはやめて下さい。
「何もいらない」を「何もいんらんなんい」と歌われると、
笑ってしまいます。